大地のおくりもの
奥中山高原レタス
- 岩手県 JA新いわて 二戸地域野菜生産部会 奥中山支部レタス専門部(岩手県一戸町)
- 2025年11月

寒暖差の大きさが〝甘い味わい〟を生む
奥中山高原レタス
山中の原野を開拓。昭和三十年代後半に農地が整備されました。
生産者の努力が実り今では、東北一の産地になっています。

空がうっすらと白み始めた、真夏の高原。ひんやりした霧が立ちこめる早朝、なだらかな傾斜地に広がる畑では「レタス」の収穫が始まっていた。
岩手県一戸町の奥中山高原は、東北一の生産量を誇るレタスの産地。標高三〇〇~八〇〇メートルの農地で栽培されるレタスが、「奥中山高原レタス」のブランド名を冠して、五月下旬から十月にかけて、東北から関東地方に出荷されている。
「レタスは、ふわっと緩めに結球したものが収穫適期です。これを食べてみて」
包丁で収穫したばかりのレタスを手に、ほほ笑むのはJA新いわて「二戸地域野菜生産部会 奥中山支部レタス専門部」専門部長の髙橋政一さん(58)。朝露の付いたレタスを一口味わってみると、甘い! 生命力がみなぎるみずみずしさと、シャキッとした食感がすがすがしい。
「しっかりと堅く結球させるキャベツと違い、レタスはこのくらい柔らかいものが、いちばんおいしいんです」

朝四時から太陽の光が強くない八時ごろまでが、収穫のピーク。気温が上がると、しだいにレタスのみずみずしさが損なわれてしまう。収穫されたレタスは、午前中のうちに畑で箱詰めされ、JA新いわて奥中山野菜集出荷所に運ばれる。
到着すると、すぐに真空予冷。そのあと冷蔵庫に移され、順次トラックに積み込まれる。こうした収穫後の徹底した管理も、奥中山高原レタスの品質を守っている。

情報の共有で高めるブランド力
朝夕冷え込む高原の夏は、レタス栽培に好適。近年、真夏の最高気温は三五度を超えることも多いが、早朝には一八度程度にまで下がる。こうした寒暖差の大きさが、他の産地にない奥中山高原レタスならではの〝甘い味わい〟を引き出すという。
しかし、かつて奥中山高原は、だれも住んでいない山中の原野だった。山を開拓し、農地が整備されたのは昭和三十年代後半。三十九年の東京オリンピック開催に合わせて、レタス栽培と酪農が始まり、人々が移り住んだと髙橋さんは話す。
「当時、まだ珍しかったレタスは高値で取り引きされていて、その可能性に懸けて農地を購入し、栽培を始めた人が多かったと聞きます」
岩手山、西岳の火山灰が降り積もった土壌は、開拓当時、酸性で石がゴロゴロと混ざっていた。そこで当時の人々は石を一個ずつ取り除き、真っ白になるほどの石灰をまいて、レタスが生育しやすい土をつくっていったという。
奥中山高原で生まれ育った髙橋さんが、妻の実家を継いでレタス農家になったのは三十五歳のとき。髙橋さんの実家もかつてはレタスを生産していたが「話に聞くのと、実際にやるのでは大違い」。当初はまったくよいものが作れなかった、と苦笑いする。
とくに苦心したのが、薬剤の使い方だった。レタスは過湿に弱く、多雨などで病虫害が発生しやすい。しかし、薬剤の使い方を一歩まちがえれば効果は得られず、薬害が発生することもある。そうした失敗を重ね、納得できるきれいなレタスができるようになるまで十年ほどかかった。
「最高にきれいなレタスを出荷することで、市場や消費者に認められたい」
髙橋さんはその一心で、収穫するさいに選び抜いて、いいものだけを出荷してきたという。
「失敗続きで困っていたとき、先輩農家の方々のアドバイスに助けられました。だから今、部会では栽培知識や技術を包み隠さず全員で共有し、奥中山高原レタスのブランド力をさらに高めていくことをめざしています」

たとえば、奥中山高原レタスの栽培技術の一つが、害虫である線虫の抑制効果が確認されているアスパラガスとの輪作で、メリットも生まれている。
春に定植したアスパラガスは、一定の寒さに当てて休眠状態にし、秋には株を掘り上げてハウスに伏せ込む。十二月から出荷が始まる促成アスパラガスが、冬場の貴重な収入源にもなっている。
また、髙橋さんは土づくりに緑肥作物を活用している。レタスの収穫を終えた畑に順次、エンバクやライムギなどの緑肥作物の種をまき、レタスの栽培を始める一か月以上前に鋤き込むことで、地力の向上に役立てている。
「緑肥作物を鋤き込んでしっかり分解させた土は、ふかふかの感触になります。病虫害が出にくくなるため、農薬使用を抑えられています」
秋風が吹くと、間もなくレタスの収穫は終了。深い雪に埋もれる冬を越え、新緑が芽吹く頃、ふたたび若草色のレタスが斜面を彩る。

文=加藤恭子 写真=鈴木加寿彦






