JAリーダーインタビュー

東京都JAマインズ 代表理事組合長 田中幸雄さん

  • 東京都 JAマインズ
  • 2024年5月

ぎりぎりまで努力する

のどかな農村だった故郷は、高度経済成長期に都市化が進み、しだいに姿を変えていった。だが、どんなに時がたとうと、協同組合の価値は変わらない。そう信じて、いま、地域の農の営みと組合員の暮らしを守ろうと、試行錯誤の日々が続いている。

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番小屋で一晩中スイカ泥棒の見張り

─お生まれは府中市とのこと。生家の周辺は、現在、住宅街になっていますね。

 昭和三十年代までは、まだ畑がかなりありました。多摩川の流域で、土壌がよく肥えていますから、野菜類はなんでもよく育つんです。砂壌土で水はけがよく、果樹にも適しています。わが家はおもにスイカやクリを出荷する農家でした。いまでも思い出すのは、スイカの収穫期に両親と交替で夜警をしたことです。泥棒が畑に入ると、スイカを盗まれるだけでなく、つるを踏まれて折れてしまうのが嫌でね。番小屋の中で夜通し見張っていました。
 幼い頃は、近所の農家の子たちと、よく遊びましたね。遊具なんてない時代ですから、雑木林で竹馬やパチンコを自分たちで作るんです。夏は川で泳いだり、魚をとったり。ハヤやタナゴがたくさんいました。
 戦後の貧しい時代でしたが、食料は自給できたので意外と豊かでした。ただ、東京都心部ではそうはいかなかったようで、学校から帰ると、家に見慣れない碁盤が置いてあったりするんです。「これ、どうしたの?」と親に聞くと「野菜を売ってほしいと訪ねてきた人が代金の代わりに置いていった」と。そんなことが何度かありました。
 のんびりした町の風景が急速に変わりだしたのは、昭和三十九年の東京オリンピックの頃からです。国道二〇号(甲州街道)ができて、高速道路も開通し、市街化が進みました。

 当時、わたしは隣の調布市の都立高校に通っていて、部活のハンドボールに熱中していました。全国大会に出場するほどの強豪校だったんです。一年生からレギュラーでしたが、練習はほんとうに厳しくてね。ときどき、抜け出して校庭の隅に隠れたりしましたよ(笑)。夏の合宿が終わる頃には、同級生の部員が三分の一まで減っていました。毎日、暗くなるまで練習していた三年間で、根性が鍛えられましたね。いまでも、ここぞというときには「負けないぞ」という強い気持ちになれるんです。

─大学卒業後、四十五年に調布市農協(当時)に入組しました。新人時代はどんな仕事をしていましたか。

 金融窓口で貯金や貸し付けなどを担当し、その後渉外担当になりました。高度経済成長期でしたから、大忙しです。事業融資だけでなく、宅地開発が進むなかで住宅ローンも増えていました。利用者の家を一日五十軒以上駆け足で回っていました。
 それから十年以上、支店長を任されるまでずっと金融担当でした。組合員や利用者と接するたびに実感していたのは、農協という組織の力です。「家の玄関口で『農協です』と言うと、パッとドアを開けてくれる。でも『銀行です』と言ったら開けてもらえない」なんて当時はよく言われていましたよ。それくらい、農協にたいする安心感も仲間意識も強かったんです。そこから生まれる信頼関係が農協の伝統であり、宝であるとわたしは思っています。時を経たいまも、その思いは変わりませんね。

店舗の統廃合ではなく時間短縮でなんとか残したい

─その「宝」を、どう守っていきますか。

 たいへんなことだとは思います。代替わりをすると価値観が変わっていきますから。令和三年度に、若手組合員を対象とした「マインズキャンパス」を開始しました。協同組合や農協事業、土づくり、税務、事業承継、相続、農地の貸借などまで幅広く学んでもらい、次世代のリーダーを育てようというのが狙いです。
 農家が徐々に減っていき、農地が減少するのはやむをえないでしょう。だからこそいま、若い世代の農協離れを食い止めなければなりません。可能なかぎり農地を保全し、地域農業を振興し、農政運動に取り組むことが農協の存在価値であり、アイデンティティーだからです。組合員が将来にわたって営農していくための土台作りをするとともに、いまある農地をどう生かすかを考えていかなければなりませんね。

─都市農業では、農地にたいする固定資産税や相続税などの重い課税が問題です。「三代相続すると農地がなくなる」と言われているそうですが……。

 実際、相続を機に「もう農業はやらない」と言う人もいます。一般の金融機関なら、そこで農地を売ることを勧めるでしょうが、われわれは違います。営農できなくても農地を相続し、貸借のかたちで活用する方法など、具体的な提案や情報提供をしてきました。
 貸借で規模を拡大して農業収入を増やしたい農家とマッチングしたり、農協が農地を借り上げて貸出農園を運営したり、若手組合員が農業体験農園を開園したりといった農地保全を一生懸命やっています。

 いわゆる「2022年問題」では、税制が優遇される生産緑地の指定解除が続出することが心配されましたが、管内では九割以上の生産緑地を特定生産緑地へ移行させることができました。これによって税制の優遇措置が継続されます。特定生産緑地への移行には手続きが必要ですから、JAでは、職員が組合員の相談に乗り、書類を代行取得したり、市役所へ代理提出したりと、力を尽くしました。
(*1992年に指定された生産緑地は、三十年経過すると解除できるため、土地の買い取り申請が殺到することによる都市農地の激減と不動産価格の暴落が懸念された。)

─経営の効率化も求められていると思います。トップとして、どうお考えですか。

 四年前に代表理事組合長に就任した当時、経費削減のために店舗の統廃合が検討されていました。でもわたしは、店舗数を維持したかった。店舗は組合員とのコミュニケーションの場だからです。そこで別の提案をしました。
 まず、午前十一時から一時間、窓口を閉めて昼休みをいっせいにとるようにしたのです。交替要員を置かなくてすみますから、少数でも運営できます。そして、窓口の終了時間を一時間早めることにしました。事務作業の時間を確保できますから、残業代を減らせる。ただ、労働力不足の問題は依然大きく、将来的には店舗統廃合を検討せざるをえないという曲がり角にさしかかっていることは事実です。それでも、ぎりぎりまで努力を続けていきたいと思います。
 江戸時代中期の大名・上杉鷹山の言葉、「為せば成る為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」を座右の銘にしています。とくに上の句は有名ですね。でも、「やればできる、やらなければできない」というのは当たり前のこと。わたしはむしろ、下の句こそがだいじだと思っているんです。「できないのは、やろうとしないからだ」という意味ですね。上の句に比べて知っている人が少ないようですが、この言葉こそ、農協の事業推進に役立つ言葉ではないか。そんな気がするのです。

文=成見智子 写真=石塚修平(家の光写真部) 写真提供=JAマインズ

詳細情報

たなか・ゆきお/昭和二十二年生まれ、東京都府中市出身。野菜農家に育つ。中央大学経済学部を卒業後、調布市農協(当時)に入組。平成四年JAマインズに合併後、本店総務部長などを歴任。十四年同JA常務理事、令和二年代表理事組合長に就任し、現在に至る。

JAマインズ

平成四年に五農協が合併して誕生。東京都中南部の府中市、調布市、狛江市を管内とする都市型JA。農業振興と農地の保全に力を入れていて、キャベツやトマト、エダマメなどの野菜、ブドウ、カキ、ブルーベリー、ナシなどの果樹、花卉などの生産が盛ん。

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