大地のおくりもの
法性寺ねぎ
- 愛知県 JAあいち三河 法性寺ねぎ研究会(愛知県岡崎市)
- 2025年4月

室町時代から守られてきた伝統野菜
法性寺ねぎ
五百年前から、作り続けられてきた「あいちの伝統野菜」です。
昼夜の寒暖差でグッと甘みを増すネギの産地を訪ねました。

凍てつく空の下、鮮やかな緑色の葉が勢いよく天に向かって伸びる。住宅地の日だまりにひっそりと広がる畑では、みずみずしく、鮮烈な香りを放つ「法性寺(ほっしょうじ)ねぎ」が旬を迎えていた。
法性寺ねぎは、室町時代発祥とされる「あいちの伝統野菜」の一つ。岡崎市の南部にある古刹「法性寺」の僧侶が比叡山延暦寺へ修行に赴いたさい、持ち帰って植えたのが始まりと言われる。京都の「九条ねぎ」がルーツともされる。生産者の安里壮貴さん(35)は、妻の里香さん(34)と共に一株ずつ手作業で掘り起こしながら、こう話す。
「昼夜の寒暖差が大きいと、グッと甘みが増すんです。寒さで凍らないように糖を蓄えるため、柔らかい葉の内側に甘くてドロドロとしたゼリー状の物質がたっぷりとできます。これが、法性寺ねぎの大きな魅力です」

最盛期は、一~二月にかけてのもっとも寒い時期。葉に蓄えた糖のおかげで氷点下でも凍ることがなく、厳寒期の朝には葉の表面にキラキラと光る玉の露がつく。これは葉の内部に蓄えた甘い汁がしみ出てくるもので、手に取ってなめると甘い。昼には蒸発して消えてしまうが、ネギの糖度が十分に高まったことを表す現象だという。安里さん夫婦は、一日に二百束(一束二百グラム)の収穫と出荷作業を続ける。
市内を流れる矢作川は、中央アルプスの標高二〇〇〇メートル級の山地を水源とし、三河湾に注ぐ一級河川。その周囲に広がる川砂混じりの土壌がネギ栽培に適していたと、壮貴さんは説明する。
「ネギは乾燥に比較的強いんですが、過湿にとても弱く、水がたまる場所では酸欠を起こして根腐れしてしまいます。この地域の水はけのよい土壌が、ネギ栽培にピッタリだったようです。昔は、どの家にも法性寺ねぎが植えられているほど、ここでは身近な野菜だったそうです」
夏場でも、基本的に灌水はしない。雨が降っても、水がスーッと抜ける。乾燥ぎみの土壌で、法性寺ねぎは順調に育っている。

育てて味わう歴史のロマン
栽培が始まるのは、九月。岡崎市農業支援センターで増殖したウイルスフリーの苗を、JAあいち三河「法性寺ねぎ研究会」の生産者十六人が、それぞれの畑に植える。育てて越冬させ、翌年三月に植え替え、さらに六月、九月と三回の植え替えを繰り返す。そして、十一月中旬から翌年三月までの出荷を迎える。
「法性寺ねぎはものすごい勢いで分げつするため、放っておくと本数が増えて、一本一本が細く小さくなってしまいます。そこで三回の植え替えをすることで、分げつを適度に抑え、丈を伸ばして茎葉も太く育てるんです」

法性寺ねぎは地表に白い根が見えるほど根張りがよく、肥料を要求する力も強い。水はけがよい土壌では、肥料も抜けやすいため、こまめな施肥と中耕除草が重要。とくに九月〜冬期は様子をみながら、三週間おきに追肥をして肥料切れを起こさないように管理している。養分が足りないと葉が黄色くなり、弱々しくなってしまう。
ちなみに法性寺ねぎは代々、何十年も同じ畑で栽培されてきた。それでも連作障害がほぼ出ないのは「水はけがよい砂土だから」と壮貴さん。土壌病害を引き起こす病原菌が紛れ込んだとしても、すぐに流れて土壌にとどまることがないという。

しかし、近年のゲリラ豪雨による被害は深刻だ。株の半分ほどが浸水して傷んでしまったことがあった、と壮貴さんは苦い経験を振り返る。
「何十ミリもの雨が一気に降り、畑の排水の限界を超えて水がたまってしまったんです。そのあと夏の高温で根が煮えた状態になり、多くの株が腐ってしまいました。最近は夏場はなるべく涼しい、住宅地そばの半日陰になる場所に植えています」
最近は岡崎市でも、気温三五度を超える猛暑日になることがしばしば。夏の強い日ざしを避けることで、アザミウマなどの害虫も発生しづらくなった。気候の変化に合わせて対応するのが、年々難しくなってきている昨今。しかし、壮貴さんの法性寺ねぎにたいする思いは強い。
「法性寺ねぎは、室町時代から守られてきた伝統野菜です。五百年前の人と同じ作物を育てられること、味わえることに歴史のロマンを感じます。少しずつでも生産量を増やして、より多くの人に食べてもらいたいですね」
ピンと伸びた鮮烈な香りの法性寺ねぎを手に、そう語る壮貴さん。代々にわたって受け継がれてきた農地に、壮大な農業の歴史が刻まれている。
文=加藤恭子 写真=前田博史 写真提供=JAあいち三河