大地のおくりもの
はちべえトマト
- 熊本県 JAやつしろ トマト選果場利用組合(熊本県八代市)
- 2025年7月

ミネラル豊富な干拓地で実る
はちべえトマト
「はちべえトマト」はJAやつしろのブランドトマト。
全国一の産地の誇りをかけて〝一個に真剣〟なトマト作りに挑み続けています。

熊本県中南部の八代平野は、全国有数の干拓地。一級河川の球磨川をはじめ、大小の河川が八代海へと注ぐ広大な平野の約三分の二は、江戸時代から始まった干拓事業によって生まれた土地だという。
肥沃な土壌は、イグサやメロンなど、さまざまな農産物を育む〝ゆりかご〟となってきた。なかでも、八代市を代表する特産品に成長したのがトマトだ。
「トマトの生産量では、熊本県が日本一。冬春トマトについては県の約半分が、八代産なんです」
そう話すのは、JAやつしろ施設園芸課の佐々木勉さん。
トマトの栽培面積は、市全体で四百七十二ヘクタール。そのうち、JAの厳格な基準を満たしたトマトのみが、八代平野の「八」と「平」をとった「はちべえトマト」として出荷されている。
栽培条件が整い日本一の産地へ

「はちべえトマト」の生産者約三百五十人のうち、約二百十人が所属する「トマト選果場利用組合」組合長の東家誠也さん(61)の圃場も、海に近い干拓地にあった。
「ここは昭和という地域。名前のとおり、昭和元年くらいに干拓された土地なんです。今でも掘れば貝殻が出てきますよ。土壌のミネラル分が多いので、甘みの強いトマトができます。水も豊富ですし、日光を遮るものもない。トマトには絶好の環境です」
と、東家さんは胸を張る。
八代平野でのトマト栽培は昭和二十八年ごろにスタート。そして五十年代、それまで盛んだったイグサの栽培が下火になり、多くの生産者がトマトに転換した。平成十一年にJA中央トマト選果場ができ、農家が手詰めをしなくてよくなったことも、トマト栽培の拡大に拍車をかけた。
さらに十五年ほど前から、出荷量が一気に増えたと東家さんは振り返る。
「もともとは、十月に出荷を始めて、翌年一月には終わっていたんですが、六月まで作るようになったんです」
法律が整備され、外国人研修生を雇用しやすくなったことも大きかったという。
「労働力が確保できたこと、トマトの需要が増えたこと、国や県のリース事業など、いろんなことが相まって日本一になったんですよ」

地域を挙げて病害虫を防ぐ
東家さんの栽培面積は、約二・七ヘクタール。広大な干拓地を生かした大規模経営を展開する。「はちべえトマト」の生産者は「一個のトマトに真剣です」というキャッチフレーズを掲げ、きめ細かなルールを定めながら、品質もしっかりと追い求めている。
「いちばんこだわっているのは、選果です。目安の糖度を決めて、それ以上ないと出荷しません。そのために、品種も組合で検討しています。どんなに収量がよくても、食味がよくないとだめです」
収穫のサインとなる色も、組合役員とJA販売担当者が、毎週集まって検討。また選果の結果も毎日、生産者に伝えて技術向上につなげている。
「技術もどんどん更新されています。昔とは、ぜんぜん違いますよ。たとえば今は昼でもボイラーをたいて、夕方から一気に温度を下げる。そうすることで葉が元気になり、花も充実するんです」
と、話す東家さん。
「ただ作るだけじゃなく、リピーターになってもらいたい! という思いで作っています。だから『はちべえトマトが欲しい』と言ってもらえているんだと思います」

だが最近は、病害虫に悩まされている。令和三年に、コナジラミによる黄化葉巻病が大発生。深刻な被害に遭い、トマト栽培をやめる人も続出した。
そこで東家さんは、県や普及所にも声をかけ、市内全地区の代表者を集めた対策会議を発足。六月で出荷を終え、定植するまでのあいだに、地域を挙げてコナジラミを駆除することを申し合わせた。
じつは市内には、系統外の生産者もおおぜいいる。そうした人々も巻き込み、足並みをそろえた対策をした結果、翌年の被害は激減した。
「どうやって生産者をまとめたのかと聞かれるのですが、あのときは、どぎゃんかせんといかん! という一心でしたね」
そう振り返る東家さん。
黄化葉巻病は、全国的にも広がりをみせているという。温暖化とともに、新たな病害虫問題が次々と起こる時代になっている。
「病害虫に負けないトマト作りという面でも、全国を引っぱる産地としての使命を果たしていきたい」
東家さんは、力強く語ってくれた。

文=茂島信一 写真=下曽山弓子