つなぐ人びと
外科医から新規就農して人生を謳歌
- 北海道 JA本別町管内(北海道本別町)
- 2025年10月

荒井陽介さん
外科医から新規就農して人生を謳歌
外科医から農業を志し北海道十勝で第三者継承。異色の転身者は日々、作物と向き合い
生き生きと、力強く北の大地を歩んでいます。

北海道の東部、十勝平野の北東に位置する本別町は、町域の半分以上が森林の緑豊かな町です。昼夜の寒暖差が大きく、日照時間も長いことから、バレイショやコムギ、テンサイなどの畑作が盛んで、とくに良質なマメは〝本別ブランド〟として知られています。
「人生は一度きり。知らない世界も見てみたい」
鳥取県米子市の大学病院で、外科医として活躍していた荒井陽介さん(47)が、縁もゆかりもない町へ移住し、農業の世界に飛び込んだのは、平成三十年のことでした。
「医師の仕事にやりがいは感じていましたが、四十歳を目前にした頃、第二の人生を懸けて新しい道に挑戦してみたい、との思いが湧き上がってきたんです。子どもたちもまだ小学校に入学する前で、タイミング的にも最後のチャンスかなと考えていました」
そこで陽介さんが選んだのは〝農業の道〟でした。外科医時代は時間的にも精神的にも激務で、季節を感じる余裕すらなかった陽介さん。
「そんな反動からか、大地を踏みしめ、太陽の光を浴びて働く、農業に強く魅力を感じました。広大な畑が地平線まで続くような大規模農業に憧れがあって。とはいえ、当時は畑作がなにかもわからない素人でした(笑)」

日本の大規模農業の先進地である十勝に狙いを定め、新規就農の方法を調べ、東京都で開催された「就農相談会(新・農業人フェア)」に参加しました。
いざ動きだしてみたものの、大規模農業が主体の十勝では、新たな農地の確保がとても難しい現状を知ります。意気消沈していたやさき、イベント会場で出会ったのが、本別町役場とJA本別町の人たちでした。
「親身に耳を傾けてくださり、『チャンスはあります』と言われたとき、ようやく一筋の光が見えた気がしました」
それからは連絡を取り合い、情報交換の日々。すると、後継者のいない農家の事業を譲り受ける「第三者継承」のチャンスが巡ってきました。
当時、陽介さんが暮らす鳥取県まで本別町役場の職員が足を運び、具体的に説明。そして、「一度、本別町に来てみませんか」という言葉にうなずき、平成三十年の夏、家族で初めて本別町を訪ねることになりました。

二泊三日で滞在するなか、地域の生活環境、農家や農地などを紹介してもらい、インスピレーションを感じた陽介さんは「よし! この町で農業をやろう」と決意。三十一年の春には家族と共に移住し、新たな挑戦を開始しました。
第三者継承で農地を引き継ぐことになった農家の下で、研修を受けた陽介さん。令和二年の春から独立就農しました。現在は四十三ヘクタールもの農地を一手に担い、コムギ、マメ(アズキ、ダイズ)、バレイショ、テンサイ、デントコーンの栽培を手がけています。
「移住して驚いたのは〝土が凍る〟こと。想像もしたことがない現象で衝撃を受けました。経験を積みながら、今はようやく軌道に乗りましたが、独立一年めは手探り状態で不安だらけでした」
陽介さんは続けて話します。
「それまで機械いじりなんてしたことがなかったので、農機具の不具合には手を焼きました。勝手にあちこちのネジを回して、農家の先輩からは『ダメ、ダメ!』って止められました(笑)」
不安に押しつぶされそうなとき、役場やJAの人たちが「だいじょうぶ? 順調かい?」と、様子を気にかけてくれたり、農家の先輩がアドバイスしてくれたり。そのことが陽介さんにとっては心強く、とても励みになったと言います。


また、就農当初は気づきませんでしたが、引き継いだ農地は一枚の畑の面積が広大で、四角く整った形状のうえ、緩やかな傾斜があり余分な水がたまらない、農地としての好条件がそろっていました。
「ハードルが高いと言われる十勝での新規就農ですが、すばらしい町と農地に巡り合えたことは、改めて振り返るとほんとうにラッキーでした。縁というよりも、むしろ〝運命〟を感じています」
農作物の状況をこまめにメモして、独自の作業工程表を作り、広大な畑を効率よく管理。農業と真剣に向き合い、日々ブラッシュアップに余念がない陽介さん。だからこそ、幸運を引き寄せたのかもしれません。
太陽の光を浴びることがなかった外科医時代とは打って変わって、今は真っ黒に日焼けしている陽介さん。作業着からのぞく腕は、たくましく筋力がみなぎっています。

マメ類やテンサイ用など新たな農機具も少しずつ増やしていて、悪戦苦闘していた農機具の調整も対応できるようになりました。個人事業主のため、自分でがんばったぶんがダイレクトに収益につながることも、農業のおもしろさの一つと言います。
「日の出とともに起きて畑に立つと、作物の生長によって昨日とは違った景色が広がっています。自分の仕事が形として見えたような気持ちになり、充実感に満たされます」
ゆくゆくは、農地の規模をさらに拡大することも見すえているそうですが「まずは着実に一歩ずつ」。北の新天地で第二の人生を、楽しみながら切り開く陽介さんの姿は、生き生きと輝いていました。

文=葛西麻衣子 写真=久保ヒデキ





