JAリーダーインタビュー

滋賀県JAこうか 代表理事組合長 池村正さん

  • 滋賀県 JAこうか
  • 2025年12月

組織でなによりたいせつなのは
「人づくり」である

かんぴょうの味と香りで季節を感じ、年を重ねてきた。
伝統野菜とともに人をたいせつに地域とJAを結ぶ。

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高校時代、ブラジルで広大な農業に触れる

─本所がある甲賀市水口町は、東海道五十三次の宿場町として知られていますね。

 水口宿は五十番めの宿場町として栄えました。わたしの家も、町内の牛飼という集落にあり、昔は米や小麦、ナタネのほか、ユウガオも栽培していました。ユウガオの実を細長く削り、天日干しにしてかんぴょうを作る場面は、歌川広重の錦絵にも描かれていますね。約四百年の伝統を持つ水口かんぴょうは、その白さと香りのよさが特徴です。干すときに雨にぬれると変色してしまうので、雲行きが怪しくなると、急いで家の中に取り込んでいました。実を削ったあとに残る「わた」の部分は、ニシンといっしょに炊いて食べます。これが食卓にのぼると、「今年も夏が来たなぁ」と子ども心に感じましたね。

 わたしが初めてバインダーを使って稲刈りをしたのは、小学四年のときです。楽しいなと思いました。勉強よりもね(笑)。そんなわたしの様子を眺めて喜ぶ両親の顔をずっと見ていたくて、それから農作業をよく手伝うようになりました。
 将来は地域農業に関わっていきたい。そう強く思うようになったのは、高校二年のとき、農業研修でブラジルを訪問したことがきっかけです。まるでスケールが違いましたね。地平線がどこまでも続くような広大な農場で、ウシを放牧している。何頭いるのかと尋ねても、「多すぎてわからない」と。家畜の給餌は全自動で、コーヒー豆などの収穫は大型農機を使う。従業員も何人もいます。農場主と話をすると、ものすごくやりがいを持って営農していることが伝わってきました。

 水口町でも当時、各集落で生産組合が組織され、農地の集約や大型農機による協業化が全国に先駆けて進んでいました。自分もその発展に貢献したいと思い、わたしは農業大学校に進学して農業改良普及員の資格を取りました。卒業後は営農指導員をめざし、昭和五十六年に甲賀郡農協(当時)に入組しました。

─希望はかないましたか?

 配属されたのは水口支所の信用部門の内勤でした。がっかりしましたね。業務にはそろばんを使うのですが、それも苦手で。上司に励まされながらなんとか二年間がんばったのですが、三年めに地元の貴生川支所に異動となり、こんどは渉外担当です。退職も考えるほど落胆しました。でも、そんなわたしに先輩職員や組合員はいつも温かい声をかけてくれる。だいじにされているなと感じながら仕事をするうち、楽しいと思えるようになったのです。
 二十代の頃は、仕事以外でも忙しくしていました。小学校からずっとサッカーをやってきたので、JAでもサッカー部をつくって練習に励みました。地元の水口連合青年団にも参加していました。朝八時に仕事に出かけ、終業後の夜八時から青年団の活動です。地元のいろいろな企業の人と交流し、つながりができました。
 貴生川支所ではその後共済を担当したのち、本所勤務となりました。結局、営農指導員になることはかなわなかったのです。けれど、仕事の楽しさを知ってからは、新しい部署に移るたび、できることを精いっぱいやろうという気持ちが湧いてきました。

─教育人事課に在籍していたときは、人材育成にも力を入れていたそうですね。

 JAの強みは総合事業ですが、実際の業務では各自が自分の仕事だけに集中しがちです。それでは組合員の幸せや豊かな地域社会づくりをめざすJAの理念が希薄になってしまう。人手不足のため、現場での教育機会も十分ではありませんでした。でも、組織でなによりたいせつなのは「人づくり」である。わたしはそう実感していました。
 そこで、各事業部と連携し、入組五年未満の職員を対象にした「かふか塾」を開講しました。農作業実習や業務研修、電話対応といった指導を通じ、JA職員としての基本を学びます。講師を務める先輩職員にとっても、人を育てることでスキルと人間性を高める場になっていると思います。人事制度を人材育成の観点から見直すという改革をしたことは、わたしにとっても大きな糧となりました。
 令和五年、教育文化事業部を創設しました。事業間に横串を刺し、総合事業のあり方を考えるのが目的です。業績に直結する事業ではありませんが、いま始めなければJAの存在意義がなくなってしまう。そういう危機感があるのです。

挨拶と対話力を磨き職場の雰囲気が変わる

─本所の廊下で「挨拶にスランプなし」という張り紙を見かけました。みなさんほんとうに、元気よく挨拶してくれます。

 仕事のスタートは挨拶からです。落ち込んだときは、なおさら声を張ってみようと呼びかけていますよ。これは本所勤務のあと、水口支所長として現場にいたときの経験からです。着任当初、利用者から「水口は最低の支所だ」というはがきをもらいました。なぜ最低なのか、理由がわからなければ成長につながりません。クレーマーとして片づけるのは簡単ですが、わたしはそういうことを言ってきた人たちを一人ずつ訪ねました。厳しい言葉の裏にある思いがわかりましたし、自分とは違う考え方があることも理解できました。
 支所の利用者は、職員が自分たちにどう対応するか、よく見ているものです。まずは、挨拶の徹底から始めました。とくに、いちばん奥に座っているわたし自身がいちばん大きな声を出すようにする。窓口の職員はもちろん、外回りから戻った渉外の職員も、利用者の顔を見て「いらっしゃいませ」とかならず声をかけてから着席する。加えて、各自が関心のある事柄について考えたり、調べたりすることを習慣づけてもらいました。利用者との会話の引き出しを増やすためです。挨拶と対話力を磨いた成果なのか、その後同じ人から「最高の支所です」というはがきが来たときは、みんなで喜びました。職場の雰囲気が変わりましたね。

─農業部門での課題はありますか。

 組合長に就任後、管内にある三十六の集落営農法人組織をすべて回りました。共通の課題は、後継者の育成です。役員になる人材を身内で育てるのは難しい。そこで、JAで「忍★あすてる」という協同組合塾を立ち上げました。その修了生がいま五十人ほどいて、「地域営農組織次世代部会」という部会をつくって活動を続けています。
 彼らはいずれ、各組織の中核を担う人材になるでしょう。わたしもときどき彼らと一杯やりながら、地域の状況や課題について、ざっくばらんに話します。そんなとき、やはり強く感じるのです。なによりだいじなのは人なんだな、と。

文=成見智子 写真=津田雅人(家の光写真部) 写真提供=JAこうか

詳細情報

いけむら・ただし/昭和三十六年生まれ、滋賀県甲賀市出身。五十六年当時の甲賀郡農協へ入組。平成二十七年総務部長、総合企画部長などを経て三十年総務担当常務、令和三年に代表理事組合長に就任し、現在に至る。

JAこうか

平成六年滋賀県南東部の三農協が合併し甲賀郡農協に、二十一年に甲賀農協へ名称変更、令和六年度に合併三十周年を迎えた。甲賀市・湖南市が管内。「近江米」「近江の茶」「水口かんぴょう」、伝統野菜「下田なす」などが特産。

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