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野菜の声に耳を傾け復興への光となる能登の野菜をつくる

  • 石川県 JAのと管内(石川県輪島市)
  • 2026年1月

上田農園 上田拓郎さん

野菜の声に耳を傾け復興への光となる能登の野菜をつくる

能登半島の輪島市で名だたる料理人をもとりこにする野菜を栽培する上田農園。
震災や豪雨の激甚災害を乗り越え野菜づくりを続けています。

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 令和六年の能登半島地震・豪雨を乗り越え、復興が芽吹き始めた奥能登・輪島市。街を流れる鳳至川に沿って車を走らせると、山なみを背に田園風景が広がります。「あれかな?」と迷っていると〝上田農園〟と書かれた看板が現れました。
「ここ数年、多くの人が農園を訪ねてくれるようになりました。最後の地点でかならず迷うので看板を作りました」
 そう笑って出迎えてくれたのは、上田農園の代表・上田拓郎さん(42)です。
 父の義正さん(72)と母の信江さん(71)が開いた農園を受け継ぎ、二代目として両親と妻の千恵さん(37)の四人で農業を営んでいます。二十棟のハウスと露地を合わせた約八十アールの圃場で、定番野菜から、サンマルツァーノ種トマト、ロマネスコ、プンタレッラ、ラディッキオ、といった珍しい西洋野菜や各種ハーブまで、年間七十種類ほどを栽培しています。
 上田農園には二つの販路があり、一つは地元スーパーとJA直売所。上田さんは産直部会副部会長として、直売所の活性化に注力しています。
 もう一つが五十店舗にも及ぶ各地の飲食店です。能登や金沢をはじめ、大阪や東京などのミシュラン常連の人気店へ旬の野菜を直送しています。
「飲食店との取り引きが多く、シェフの期待に応えようとするうちに多品目に。野菜好きの野菜農家なので、つねに珍しい品種に挑戦していて、年々、数が増えています」
 そんな上田さんは、幼い頃から両親が働くハウスを遊び場として育ちました。
「ぼく自身が〝ハウス育ち〟で、圃場は大好きな場所。親を手伝いたくて、中学生で農家になることを決めました」
 農業高校を卒業後に就農。当時は年間十種類の野菜を栽培しスーパーへ卸していた父の指導の下で、栽培技術を身に付けていきました。

 毎日圃場で過ごすなかで、上田さんは野菜のわずかな変化に規則性を感じるようになったといいます。
「植物が水を吸う力は、満月には強くなり、新月には余分な水分が落ちる。蛾も満月に卵を産むので、防除はそのタイミングに合わせる。栽培計画に月の暦も取り入れています。長年続けて、野菜の味が変わることも実感しています」
 そして独自の栽培方法を試し始めた三十歳の頃に、農園を継承。新たな販路開拓にと、輪島で「ラトリエ・ドゥ・ノト」の開業準備をしていた注目の料理人・池端隼也さん(46)を訪ねました。
「初めての営業でした。でも『野菜を使ってもらうならば、この店に!』と、勇気を出して連絡して、畑に来てくれた池端さんに『野菜は任せた』と言われたことは十年たった今も鮮明に覚えています」
 それからは、食のプロを満足させる野菜づくりに切磋琢磨し続けました。上田さんの野菜は評判となり、輪島から全国へと広がっていきました。
 そして、令和五年には、自家用に栽培していたトマトのサンマルツァーノ種が注目されるようになりました。極限まで水分を抑えた栽培で甘みと酸味を引き出したトマトは、「この味を探していた」と多くの料理人をとりこに。夏の二か月ほどしか出荷しないために翌年以降の予約をする人も相次ぎました。

 週に一度、野菜を受け取りに訪れるという、七尾市でレストランとオーベルジュを営む「ヴィラ・デラ・パーチェ」の平田明珠さん(40)もその一人です。
「初めて食べたときに来年は、店用に百本植えてほしいとお願いしました。上田さんが継続して栽培ができるように、お客様にも上田農園のトマトを紹介したほどです」
 周囲の応援のおかげで、その年に始めたオンラインショップは、予想以上の売り上げにつながったと言います。

 忙しい一年になりそうだと、つかの間のだんらんを楽しんでいた令和六年元日、能登半島地震が発生しました。
 家族は無事だったものの、住まいをはじめ、圃場は隆起して水道管がすべて破損。ハウスも全半壊するなど、被害は甚大でした。
「すさまじい惨状でした。ただ不思議と『ダメだ』とは思わなかった。自分たちで作った圃場だから、ぜったいに復旧できる自信がありました」
 自身も被災者でありながら、強い気持ちで復旧作業に励むとともに、地域のために尽力。炊き出し活動を主宰する池端さんのもとへ長らく野菜の提供を続けました。
「地元の野菜がたっぷり入った食事を多くの人が喜んでいると聞くと、農家でよかったなあと心から思いました」
 しかし、復興の兆しが見えてきた同年九月下旬、まさかの豪雨に見舞われました。圃場はすべて水没。ようやくめどがつき始めただけに、さすがに言葉を失いました。
「でも、スコップを抱えて東京から来てくれたシェフたち、泥出しを手伝ってくれた地元の高校生、被災の中でも前を向く料理人や生産者など、仲間の姿に励まされました」

 ふたたび気合いを入れて、籾殻や肥料を入れて土壌改良から取り組みました。五十アールほど作付け面積を減らし、野菜を栽培。一年越しの予約があるトマトは、わずかな変化も見過ごさないように注意を払いました。しかし土に残った水分の影響で、酸味が少なかったと言います。
「出荷レベルには達したので、注文分はお届けすることができた。来年は、もっとおいしいトマトをつくります」
 震災から二年、豪雨から一年がたつなか、上田農園では作業場兼加工場づくりを始めています。本格的なキッチン工房も備えて、加工品づくりや料理イベントをおこない、輪島の魅力をつなぐ場にしたいと、未来への新たな思いを膨らませています。
「娘が二人いるのですが、いつかこの地で農業をしたいと思ってくれたらうれしい。だからこそ、彼女たちに選ばれるような未来につながる農園をつくっていきたいです」

文=森 ゆきこ 写真=中西 優

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