JAリーダーインタビュー

熊本県JAやつしろ 代表理事組合長 山住昭二さん

  • 神奈川県 JAやつしろ
  • 2025年5月

同じ百姓たい、じっくり話せばわかる

祖父の代に干拓地に入植し、代々、汗と土にまみれながら、農業を守ってきた。
息子に経営を託したいま、産地の将来のため、腰を据え組合員に向き合っている。

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親子四代の開拓者精神

─いちめんに田畑が連なる、広々とした八代平野の眺めは壮観ですね。

 八代平野の約三分の二は、江戸時代から始まった干拓事業によってできた新地です。八代海に注ぐ一級河川・球磨川が、ミネラル分をたっぷり含んだ豊かな水で平野を潤してくれます。気候も穏やかで、農業にはとても適した土地ですね。なんでも作れますよ。
 わが家もこの干拓地にあります。昭和初期に、わたしの祖父が県北部の山鹿市から入植してきたのが始まりです。じいさんは単身、山の上から馬一頭引いてやってきて農業を始めました。新天地でひと旗揚げてやろうという気概があったのでしょう。当時、八代平野は畳の原材料であるイグサの一大産地で、稲作との二毛作で栽培されていました。栽培面積は、いちばん多いときで約六千ヘクタールあったそうです。じいさんも二毛作で農業を軌道に乗せ、家族を呼び寄せました。
 活発で威勢のよかったじいさんとは反対に、親父は「仏様みたい」と言われるほど穏やかで物静かな人でしたね。だから、わたしを叱るのはいつもおふくろでした。快活で、はっきりものを言う人でしたから。わたしはどちらかというと、じいさんやおふくろに似たのかな(笑)。
 子どもの頃から、家の手伝いはよくしました。猫の手も借りたいほど忙しかったのです。機械がなかったので、地面にかがみ込んで長いイグサを鎌で刈り、束ねていくのはひと苦労でした。収穫後は畳の耐久性や美観を保つための泥染めをします。天然の染土につけ込んで足で踏むのです。そのあとの天日干しも、またたいへんでね。大量のイグサを朝いっせいに干したら、昼ごろに裏返し、夕方取り込みます。雨が降ったりすると、食事中でも急いで外へ飛び出し、家族や従業員総出で片づけていました。

─昭和五十年代から、イグサの需要が減り始めました。

 親父の代になると露地野菜やスイカなども作っていましたが、わたしが高校を出て就農するタイミングで大型のハウスを建てました。ここからトマトとメロンの栽培が始まったのです。数年間はイグサも作っていましたが、やはりどちらかに絞らないと、生業としては難しい。親父から経営移譲されたとき、わたしは施設園芸を選び、徐々に面積を広げていきました。従来と違うことをやって親を超えたい、という思いがあったのです。今は息子が家業を継いでいますが、彼にも同じ思いがあるのでしょう。メロンをやめてトマトを専業とし、ハウスは自動制御システムで管理するようになりました。
 わたしが若い頃、トマトの管理は「トマトに聞け」と言われました。作物を見て覚えろ、ということですが、「トマトはなんもしゃべらんと、わかるわけなかっしょ!」と内心でつぶやいていましたよ(笑)。今はパソコンやスマホに聞ける。経験と勘に頼っていた部分を数値化し、技術も共有できている。だからみんなが高いレベルまで到達できるんです。

農家の経験と職員の研究の両輪で

─若い農家の技術の底上げができているのですね。

「八代が潰れるときは、もう日本に農業は存在しない」とよく言われます。条件がいいうえに、今は技術面も発展してきている。栽培面積をただ広げるのではなく、スマート農業を導入して単収を上げていくやり方が主流になっています。昔は「めざせ八桁農業」と言われましたが、今は九桁、つまり一億円をめざせる時代になりました。若い農家がチャレンジしやすい環境下で、後継者がちゃんと育っているのです。
 青壮年部の存在も大きいですね。わたしも若い頃は、農業の技術ならこの人、経営ならこの人、というように、目標にしてきた先輩がおおぜいいました。自分が地域農業をけん引する立場になったのは、青壮年部部長となった三十八歳のときです。その後、JAやつしろ選果場利用組合の副組合長を四年、組合長を六年経験し、市場と協働してトマトの産地化と販売強化に努めました。女性部の協力で、冬場でも売れるように鍋物や焼き物など温かいトマト料理のレシピも作って配布しました。まずは全国で一年中トマトを食べる習慣を広めることが重要だと思ったのです。「八代のトマトだけ売ってください」ではだめだと。

─八代産「はちべえトマト」は、市場で大きなシェアを占めるようになりました。

 平成十四年に、八代平野の「八」と「平」をとって名づけました。とくに十一月から翌年一月にかけて大阪で流通するトマトは、三つのうち二つが八代産だと言われています。ここまで伸びてきた大きな要因は、他産地に先駆けて大型選果場を整備したことです。一日の出荷量は、多いときで管内の選果場全体で七万ケース。八代の出荷量が冬春トマトの相場の基準になっています。
 JA職員もよく勉強していますよ。たとえば、年々厳しくなる夏場の高温対策です。作り方や品種を工夫するなど、営農指導員が変化に順応してきたからこそ、産地として生き残れていると思っています。営農指導員や販売担当者は、毎年各自で研究成果を論文にまとめます。論文はすべて冊子に掲載され、優れた論文は研究発表会で発表する。営農指導員たちは、自らの研究や調査で得た知見と、農家がいち早く会得した技術とを合わせて情報共有し、チーム全体でレベルアップを図っています。今後はすべての農産物に「はちべえ」ブランドを冠し、高く売る努力を続けていきます。
 価格といえば、「激安」で知られるスーパーの社長がテレビの取材で「野菜が高い」と言っているのを見かけますが、適正価格ですよ。わたしたちも買い物をしますので、安さを求める消費者心理は理解できます。でも、資材費の高止まりで生産コストが上がり続けるなか、これ以上安売りされたら、農業はもちません。だからこそ、消費者の理解醸成に努めながら、適正価格を実現できる政策を期待しています。

─長年、生産現場に身を置いてきましたが、組合員との対話で心がけていることはなんでしょうか。

 JAやつしろの歴代組合長の多くは、わたしのような「農家のおっちゃん」です。組合員の要望には、できないことはできないとはっきり言いますが、でも、わたしには農家の気持ちがよくわかる。だから、じっくり話します。そうすると、「同じ百姓たいね」と心を通わせることができるのです。
 初心忘るべからず。天狗になってはいけない。いちばんだいじなのは挨拶。挨拶がよかったら、たいていのことはうまくいく。職員にも、繰り返し伝えているんです。「電信柱にも頭を下げるつもりで」とね(笑)。

文=成見智子 写真=下曽山弓子 写真提供=JAやつしろ

詳細情報

やまずみ・しょうじ/昭和三十年生まれ、八代市出身。四十九年熊本県立八代農業高等学校を卒業後に就農。平成五年八代市農協青壮年部部長、十七年JAやつしろ選果場利用組合(丸トマト、ミニトマト、メロン)副組合長、二十一年同組合長などを歴任。二十六年JAやつしろ理事、令和二年代表理事組合長に就任し、現在に至る。

JAやつしろ

平成七年、六JAが合併して誕生。管内は干拓事業によってできた広大な八代平野を有する全国有数の農業地帯。「はちべえトマト」として有名なトマト、イグサ、世界最大の柑橘類「晩白柚」、さらにイチゴやメロン、露地野菜など、多種多様な農産物が生産されている。

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