JAリーダーインタビュー

東京都JA東京あおば 代表理事組合長 久保秀一さん

  • 東京都 JA東京あおば
  • 2026年7月

挑戦するほどつながりができ楽しくなる

長男として家業を守るために継いだ農業は失敗の連続。JAの組織活動に参加すると、世界が広がり仲間のたいせつさを知った。
いま、“地域の長男”として、幅広い世代との信頼関係を築きあげながら都市農業を守る。

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都市化が進むなか農業に真摯に向き合う

─板橋区内で代々続く農家のご出身だそうですね。

 過去帳が焼失してしまったので正確にはわかりませんが、農家として約三百年、六代以上続いていると聞いています。わたしが子どもの頃、周囲はいちめんの畑で、住民はみんな農家でした。自宅の畑のほかにも何か所か田畑があり、両親はいつも忙しく働いていましたね。わたしは農作業を手伝うことはほとんどなくて、学校から帰ると野球をしに行ったり、祖母の部屋で遊んだりしていました。ただ、市場には何度か同行したことがあります。ほぼ毎日、二十分ほどリヤカーを引っぱって行くのですが、途中にすごく急な上り坂がある。これはたいへんだなと思ったことを、いまでも覚えています。
 周囲の環境が変わってきたのは、わたしが中学に上がる頃からです。よその地域から人が続々と転入してきて、建売住宅が増え、農地がどんどん減っていきました。そうしたなかでも父は営農を続けてきたので、わが家は今でも自宅に畑があります。隣家との間の垣根として先祖が植えたカシの木は、今ではかなりの巨木になりました。地元では「どんぐりの木」と呼ばれ、「トトロが住んでいそう」なんて言いながら通りかかる人もいますよ。うちの野菜を食べた人からは、「すごくおいしい!」と驚かれます。とりたてはみずみずしさが違う、と。わたしは幼い頃から当たり前のように食べてきたので、そうなのかな、という感じなんですけどね(笑)。

─とても恵まれた、よい環境ですね。

 そうですね。でも、若い頃は農業を継ぐことをまったく考えていなかったんです。高校に入ってからは草野球に熱中し、ピッチャーから外野手まで、なんでもやりましたね。野球仲間のお姉さんが調査会社の社員で、大学時代はその会社でアルバイトをしていました。おもに、会員企業が必要とするマーケティング情報を収集する業務の手伝いです。社員の指示で、官公庁や企業などに出向いて統計資料や調査資料を集めたり、会員に求められた資料をコピーして送ったり、という仕事がメインでした。
 大学のゼミにも野球チームがありましたし、この会社の野球部にも入れてもらいました。こうした人とのつながりが、わたしの人生を決定づけてきた感があります。野球好きが高じて、大学卒業後はスポーツ用品メーカーに就職したのですが、三年後に調査会社に転職しました。アルバイト時代の上司から、「中途採用があるから受けてみないか」と電話をいただき、応募したのです。ここでの経験は、わたしの大きな財産になっています。どんな情報なら顧客の役に立つかを懸命に考えることで、物事を多角的に見る力が付きました。会員企業を募る営業も担当していましたから、おおぜいの人の前で話すことにも慣れています。

─会社を辞めて就農したきっかけは、なんだったのですか。

 きっかけがあったわけではないんです。四十代後半になって、「畑をやろうかな」という気持ちが自然と湧いてきました。日本の農家の長男には、家業を守らなければいけないという気持ちが、かならずどこかにあるのだと思います。「やるよ」と伝えると、父は「このまま廃業しようと思っていた」と、ほっとしたような表情を浮かべていましたね。
 わたしが五十二歳のとき、父は他界しました。翌年、二十八年間勤めた会社を辞めて就農したのですが、生前の父に教えてもらいながら作ったのはジャガイモぐらいで、ほぼ素人です。種をまいても芽が出ない。出てもうまく育たない。たくさん失敗しましたが、また人とのつながりに助けられましたね。地域の農家や、農協のアグリセンターの職員がいろいろと教えてくれました。二年めからは、板橋区の都市農業係に勧められ、学校給食への食材提供を始めました。売り先ができたことで、少し気持ちが落ち着きました。自宅の前でも野菜を売り、農協の直売所にも出荷しました。
 町内会などの地域活動に参加するようになると、農協の青壮年部からも声がかかりました。当初は、こういう組織に入る必要はあるんだろうかと思って参加していましたが、セミナーの資料作り、農業祭への出店、区民農園の指導員など、いろんな仕事をやるうちにどんどんつながりができて、楽しくなる。仲間がいることはとてもだいじなんだなと実感しました。

最初はうまくいかなくても一歩一歩をたいせつに

─青壮年部や支部の役員を歴任したのち、現職に就任されました。都市部の農協のあり方をいま、どう考えていますか。

 農協は「農家のための団体」だから自分とは関わりがない、と思っている人は多いですね。でもそういう人たちにこそ、農協がなにをやっているか、協同組合とはなにかを理解してもらい、応援してもらいたい。だから、オープンな広報活動をどんどんやって、それが事業の利用につながっていけば未来は明るいのではないか、と思っているんです。
 毎年開催している農業祭には、ものすごく人が来ますし、管内四か所の直売所で定期的におこなうフェスタには、毎回子どもたちがたくさん来てくれますよ。それが農業や農協への理解につながるかは正直わかりませんが、少なくとも「農業」と名のつくイベント、あるいは農協がやっているお祭りであることを意識して来てくれていることが重要です。
 練馬区が開設し、農協が管理を受託している「高松みらいのはたけ」には、学校帰りの子どもたちが毎日来て、泥んこ遊びをして帰っていきます。心温まる光景ですね。そうした原体験は、その後の人生への大きな肥やしになりますから。同区では、農家が農地を開放し、野菜作りを教える「練馬方式」と呼ばれる農業体験農園も盛んです。これは農の景観の維持だけでなく、農家の収入にもつながります。高額な相続税を支払うためにやむなく農地を手放す農家が一定数いるなか、少しでも収入を増やす工夫をしなければなりません。

─組織運営の課題はなんですか。

 じつは新入職員の多くが、地域に貢献したいという希望を持って入組してくるのですが、若いうちに基礎をしっかり学んでもらうため、最初は金融部門への配属がほとんどです。ただ、希望がかなわず落胆する人はそれほど多くない。組合員のみなさんにかわいがられ、よいコミュニケーションが取れているからでしょう。それは長年築きあげてきた信頼関係のたまものですね。
 ただ、組合員も世代交代しますから、次の世代からも支持されるよう、信頼を重ねていかねばなりません。農業と同じで、最初からうまくいくとはかぎりません。一歩一歩をたいせつに踏みしめながら、みなさんと共に歩んでいきたいと思っています。

文=成見智子 写真=研壁秀俊 写真提供=JA東京あおば

詳細情報

くぼ・しゅういち/昭和三十四年生まれ、東京都板橋区出身。五十七年亜細亜大学卒業後、㈱日本能率協会総合研究所などを経て、平成二十五年に就農。三十年JA東京あおば板橋区青壮年部副部長、令和元年代表理事副組合長、四年代表理事組合長に就任、現在に至る。

JA東京あおば

平成九年、板橋・練馬・石神井・大泉の四JAが合併して設立。板橋区・北区・豊島区・練馬区が管内。野菜、果樹など都民に新鮮で安心な農産物を供給し、直売所、SNS、広報誌などで都市農業の魅力を幅広く伝えている。

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