JAリーダーインタビュー
福岡県JA筑紫 代表理事組合長 白水清博さん
- 福岡県 JA筑紫
- 2026年4月

地域に飛び込めば失敗も学びになる
経験がないからこそ組合員から多くのことを教わった。
対話を重ね、信頼を得ると仕事はもっと楽しくなる。
急速に都市化するなかで、農業に向き合ってきた
─福岡市に隣接する、春日市春日のご出身ですね。
生まれたときからずっとここに住んでいます。現在は住宅地になっていますが、わたしが子どもの頃は田畑の多い地域でした。わが家も一・三ヘクタールほどの農地で米と麦を作り、山からまきを切り出していました。春の田植えのときは、定規の綱を引いたり、植える人に苗を渡したりする手伝いをしたのを覚えています。稲作はほぼ手作業の時代ですから、農耕用にウシを一頭飼っていて、その世話もしました。
中学生になる頃には、耕うん機を使えるようになりました。父は教育委員会に勤務する公務員で、週末も仕事だったので、高校生ぐらいから長男のわたしが土日の農作業の中心を担っていました。トラクターを買ったのは大学生の頃だったと思います。
集落の隣には、かつて「春日原ベース」というのがありました。戦後、席田飛行場が米軍に接収され、板付基地として運用されていた時代に、軍属の家族が住むために造られた住宅地です。基地は昭和四十七年に大部分が返還され、福岡空港として民営化されました。その後、春日原ベースを含む接収地の再利用と周辺地域の宅地開発が本格化したのです。返還前の町の人口は一万数千でしたが、現在は約十一万まで増えています。
祖父は、昭和二十三年に発足した春日村農協の初代組合長で、熱心に田んぼ仕事をしていました。わたしも農作業に力を入れてきましたし、地元に残ってほしいという父の意向もあり、大学卒業後は地元の筑紫農協に入組しました。都市化に伴い、受け継いだ農地はやむなく売却しましたが、自宅から車で三十分ほどの那珂川市に田んぼを買い、週末を中心に米作りを続けています。

─新人時代はどんな仕事をしましたか。
春日支店に配属され、最初の二年は金融部門の内勤でした。そろばんができなかったので、初めのうちは苦労しましたよ。先輩がた、とくに商業高校出身の女性職員はそろばんを使い慣れていて、仕事が早いんです。わたしも、一日も早く使えるようになろうと必死でした。今でも四つ玉のそろばんをだいじに持っています。
その後、内勤から渉外担当になりました。外回りは楽しかったですね。組合員宅を繰り返し訪問し、距離が縮まっていくと、家に上げてもらってじっくり話ができるようになります。お金や家族のことなど、いろいろな相談を受けるようになると、ある日、他の金融機関で満期を迎えた貯金を「農協に預けるよ」と言ってくれたりするんです。子どもが結婚する、車を買う、といったタイミングで共済の相談を受けることもありました。
わたし自身も、組合員になにを勧めたらいいかを考えて勉強しますから、スキルが上がり、知識も蓄えられていきます。ただ、説明の仕方が悪かったり、勉強不足だったりして、お叱りを受けることもありました。そういうときは素直に謝り、なんとか次善の策を考えるようにしました。失敗はだれにでもあります。また次に会ってもらえるか、その経験を糧にして成長できるかがだいじだと思います。
─失敗を恐れず、チャレンジを続けることがたいせつなのですね。
ただ、入組二十年めで本店の人事課長になったときは、悩むことも多かったですね。自分の決定が職員の人生を左右するかもしれないと思うと、その重責で眠れない夜もありました。かといって、だれもがよかったと言うような人事ではだめなんです。本人は望まない異動だったとしても、逆境で新たな挑戦をすることで、大きく成長できる人もたくさんいる。それが結果的に職場にも組織にもプラスになると思っています。
その後は現場に戻り、光支店の支店長になりました。毎年、事業目標を達成していくことは簡単ではありませんでしたが、充実していましたね。信頼している職員たちと力を合わせて目標をクリアし、事業利益を上げていくことに、改めて深い達成感を覚えました。在任中、地元の小学五年生を対象とした田植え指導を始めたのですが、それが今でも続いています。毎年、稲刈り後に子どもたちが「おにぎりパーティー」を開いてくれるんですよ。今年は「裏作でタマネギをつくりたい」という要望もありました。夏休み中、稲の生長を観察しに来る子もいます。農業に興味を持ってもらえることは、ほんとうにうれしいですね。
担い手育成と直売所の連携で農地を守る
─都市化で農地が減っていくなか、どのような工夫をしていますか。

平成二十一年、JAが出資して子会社の㈱JAアグリサポート筑紫を設立しました。休耕地の管理、農作業の受託、農地の管理受託などをおこなっています。二十三年に開校した「ちくし農業塾」は、休耕地などを活用し、直売所出荷者や生産部会の一員となりうる新規就農者を育成しています。二十年ほど前から運営を始めた「農産物直売所ゆめ畑」は、現在管内に五店舗あり、販売高は年間約十五億円あります。売り先を確保し、多方面から営農をサポートすることで、農地の維持に寄与できればと思っています。また、米の減農薬栽培への取り組みや、カントリーエレベーターの設備更新などにより、付加価値や製品率を上げ、農地が狭くても農家の所得が向上するよう努めてきました。

一方で、正組合員よりはるかに数が多い准組合員もたいせつな存在です。JAを信頼して事業を利用してもらっているのですから、不便をかけないようにしたい。経営効率化の手段として支店統廃合をするつもりはありません。むしろ、毎年一店舗ずつ建て替え、新築し、より便利に快適に使ってもらえるようにしています。事業を利用してもらったことで利益が出たなら、極力還元するのが当然ではないでしょうか。

─職員には、日ごろどんな言葉をかけていますか。
地域活動に参加する機会があったら、積極的にやりなさいと伝えています。わたし自身も、子どものPTAの会長や消防団員をやっていましたし、自治会活動にも参加していました。活動に参加のときは特別休暇も取得できます。一人一人が地域の一員として貢献する姿を見せることで、組合員の信頼も得られるのではないかと思います。
そしてもう一つ。わからないことがあっても、一歩前に出て「教えてください」と言える勇気を持ってほしいですね。わたしは組合員にも「職員を育ててください」とお願いしています。自分自身もそうでしたが、若いうちは、経験がないことを武器にできるんです。積極的に学び、いろいろな人と話をすることが成長につながります。仕事はもっと楽しくなるし、歩むべき人生の道も開けてくると思います。

文=成見智子 写真=馬場敬子 写真提供=JA筑紫
詳細情報
しろうず・きよひろ/昭和二十七年生まれ、福岡県春日市出身。五十年福岡大学卒業後、筑紫農協に入組。平成七年人事課長、九年光支店長、十四年春日支店長、二十年総務部長を経て、二十二年代表理事専務、二十八年代表理事組合長に就任、現在に至る。
JA筑紫
昭和四十八年に福岡県大野城市・太宰府町・筑紫野市・春日市・那珂川町の三市二町の農協が合併し設立(※現在は太宰府市、那珂川市)。福岡市に隣接する都市型JAであり、水稲、ムギ、野菜、果物、畜産など多様な特産物を生産。





