つなぐ人びと

赤糖房に魅せられて郷里に戻り土を耕す

  • 和歌山県 和歌山県印南町(JA紀州管内)
  • 2024年11月

西山久美子さん

赤糖房に魅せられて
郷里に戻り土を耕す

若い頃は興味がなかった農業。就農して十七年がたつ——。
地域が誇るミニトマト栽培で家族や仲間と共にその紀州ブランドを守り立てています。

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 和歌山県の南北のほぼ中央部に位置し、黒潮躍る太平洋に面した印南町。紀州特有の温暖な気候に恵まれた地域では、三十年ほど前からミニトマト栽培に力を入れてきました。
 八月初旬、山間部にあるハウスでミニトマトの定植の準備をするのは、西山久美子さん(46)です。実家の農業を継いで十七年、親や夫の真次さん(54)と共に、糖度が高く赤色の濃いJA紀州のブランドミニトマト「赤糖房」の栽培を手がけています。
「自家用に水稲を二十アール、父が始めたミニトマトは、ハウス三棟を使って二十八アール栽培しています。親が高齢になるまでは四棟でしたが、今は親と夫とわたしで一棟ずつ管理しています。品質や収穫量を競い合っています」
 そう笑顔で話す久美子さんですが、若い頃は実家の農業にまったく興味がなかったといいます。

 専門学校を卒業後、大型客船のスタッフとして勤め始めた久美子さん。たまたま実家の「赤糖房」を仕事場でおすそ分けしたところ大好評。客船のシェフから「料理に使いたい」と依頼されたことも。そんな周囲の反応に驚くとともに、親が栽培してきたミニトマトの価値に気づかされたそうです。
「印南町に戻って結婚。育児に専念していた三十歳の頃、父から夫婦で農業をやらないかと提案されました。楽しそうに圃場に向かう両親の姿に『農業もいいかな』って思い始めていました」
 兼業農家に育ち、農機具販売・修理会社に勤めていた真次さんと何度も話し合い、夫婦で就農することを決意します。
 手伝い程度では関わってきたものの、当初はわからないことばかり。親元で取り組みながら、栽培上手な生産者を訪ねて栽培法を教えてもらうなど、夫婦で学びを重ねます。
 しかし、二人が新たな工夫や技術を試そうとしても、親は首を縦には振ってくれなかったといいます。
「親には親のやり方があって、小さなことでも変えるのは難しかった。まず、自分たちで試して品質や収穫量で結果を出してから、少しずつ任せてもらえるようになりました」

「赤糖房」を次世代へつなげたい

 就農して苦労したことを尋ねると、間髪をいれず「自然災害」と答えた久美子さん。
 太平洋に面した紀州は、昔から台風の通り道。就農間もない平成二十三年九月に、台風による大雨で紀伊半島大水害が発生します。
 ハウス一棟が一メートルを超える水につかり、定植した千九百株のミニトマトや農機具などが、すべて被害に見舞われました。
「定植を終えた直後でした。ゼロどころかマイナスからの復旧作業はきつかった。夫に会社を辞めてもらったことを悔やんだりもしました……」
 復旧作業を続けるなか、「災害はしかたない」と前向きに土を耕す真次さんの姿や、地域の生産者や友人の支えもあって、久美子さんは立ち直ることができたといいます。


 令和二年十一月には、収穫直前のハウスが突風被害に遭います。潰れたハウスやなぎ倒されたミニトマトに「今年はダメだな」と思ったそう。
 しかし、資材会社の社長が陣頭に立ち、夜を徹してハウスを修復。また、ミニトマト部会の部会長も駆けつけ、整備を手伝ってくれました。
「被災したのは母担当のハウス。『修復してくれた人の恩に報いたい』と、母が気合いを入れて励んで。収穫量が平年よりよくなりました」
 また災害による補助金申請を、いち早く行政にかけ合ってくれたJA紀州には、物心両面で助けられたといいます。
「出費が多く、補助金はありがたかった。地域や生産者の仲間、JAとのつながりの意味を、改めて実感する機会になりました」

 現在、久美子さんが積極的に携わっているのがサークル活動。ミニトマト部会の「赤糖房」生産部会には、女性生産者だけのサークルがあり、汗をかく日々です。
 サークルの役割は、女性目線を生かした「赤糖房」の宣伝活動です。地元はもちろん、都市部の高級スーパーや百貨店の売り場に出向き、PRに取り組んでいます。
「父が始めた三十年前には十人ほどだった生産部会は現在、三十人を超えました。産地と消費者をつなぎ、栽培を希望する次世代へつながるよう活動を続けていきます」

文=森 ゆきこ 写真=前田博史 写真提供=JA紀州

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