JAリーダーインタビュー
愛知県JAあいち中央 代表理事組合長 渥美純一さん
- 愛知県 JAあいち中央
- 2024年12月

信頼関係は、〝現場〟で築くもの
現場を歩き、現場でもまれることで、農協の本質を体にたたき込んできた。いま、めざしているのは、「日本一のJA」。そのために、今日も現場に足を運んでいる。
苦手な相手ほど会いに行く
─生まれ育った安城市古井町は、名鉄西尾線の駅があり、新幹線も通るなど、宅地化が進んでいるようですね。
子どもの頃はいちめんの田畑でした。わが家でも、家族が食べる分の米や野菜を作っていました。父は鉄道会社に勤務していたので、農作業の中心は母です。わたしは三人きょうだいの長男で、田植えや稲刈りのときはよく手伝いました。梅干しのおにぎりを持ってね。あれ、田んぼで食べるとほんとうにおいしいんですよ。当時は機械がなかったから田植えは手作業ですし、農薬も普及していなかったので虫も多い。ヒルにかまれて血がバーッと出たりね。
少年時代の遊び道具は「自然」です。近くの川や池に行って、岩の下に隠れている魚を捕まえたり、雑木林でセミを捕まえたり。たまには、ちょっと悪いこともね。田んぼの堤に上って遊んだり、かくれんぼをしていてよその家の物置に無断で入ったり。それが見つかると、親や近所の人から大目玉ですよ(笑)。
うちの地域では昭和四十年代まで「田んぼが一町歩あれば一年暮らせる」と言われていましたが、経済成長に伴って兼業農家が増えていきました。宅地化が進み、農地は減っています。それでもまだ自然が残っていますから、いまは小学生の孫とよくセミ取りに出かけています。最初はセミを手でつかむのを怖がっていましたが、いまでは大きくてすばしっこいクマゼミも、なんなく捕まえる。頼もしいですね。
─昭和五十年に安城市農協(当時)に入組しました。最初はどんな仕事でしたか。
金融課に配属され、渉外担当となりました。一年めから外回りです。町なかの農協でしたから、商店街などを回っていましたが、最初は「農協なんかに用はない」と門前払いです。渉外という職種ができたばかりということもあり、どうしていいかわからず途方に暮れたこともあります。それでも、「ちょっとそこまで来たので寄りました」なんて言ってこまめに顔を出すうちに、「しつこいねえ、しょうがないな」と言いつつ話を聞いてくれる人もいる。そこからが勝負です。農協は総合事業ですから、共済の話もしますし、電化製品など購買品も勧めていました。
いちばんだいじにしていたのは、訪問軒数です。毎日五十軒以上回りました。回れば回るほど、結果はついてくる。もちろん、気が合わないとか、相性のよくない人もいました。でも、わたしはそういう人の所ほど多く訪ねたのです。苦手だからと敬遠したら、もうその先はありませんから。何度も顔を合わせていると、合わないなりにも、なにかのきっかけでうまくいくものです。やはり農協は人間関係なんです。いま振り返っても、このときの経験は大きな財産になったと思います。

三十代で「組合長」と呼ばれて
─若いときに支店長も経験しているそうですが。
三十二歳のときに任されました。組合員からは「支店長」ではなく、「組合長」と呼ばれていましたね。二十の農協が合併して安城市農協が誕生したときに、各農協がそのまま新農協の支店になった経緯があるからです。支店長はその地域全体の責任者として、なんでもうまくやって当たり前、と思われていました。
ところが、当時は困難な課題を抱えていたのです。転作田を、どうやって決めるか。これは大きな問題でした。ムギやダイズは栽培が難しくて値段も安かったので、みんな米を作りたいんです。農地を区分けして、毎年順ぐりに輪作する体制にしましたが、組合員同士で話し合い、理解を得られなければそれも難しい。「今年コンバインを買ったばかりだから」と言って説得に応じない人もいました。だから、翌年また協力をお願いしに行くのです。
みんなが平等になるよう調整し、農地を守っていくのが農協の仕事です。無理を言ったし、無理を言われたりもしました。それができたのは信頼関係があってこそ。たいせつなのは、とにかく現場に立つこと。事務所であれこれ考えるより、現場に出て人と話すほうが、得るものは大きいと思います。
─その現場で、いまJAは、どのような課題に直面していますか。
資材価格の高騰が続くなど、厳しい状況が続いていますが、昨年度は計画を上回る事業利益を確保できました。管内産の農畜産品を「碧海そだち」ブランドとして展開しています。「碧海」というのは、わたしたちの地域の名前で、温暖で水利にも恵まれているため、昔から「日本デンマーク」と呼ばれるほど農業が盛んなのです。今後、「碧海そだち」のさらなる浸透を図りたいですね。
管内には農産物直売所が十一店舗ありますが、なかでも「でんまぁと安城西部」では、年間約六十万人の集客があります。今年の夏も、安城市、刈谷市で生産される『甘ひびき』というナシを目当てに数百人の列ができました。「安城和牛」や、ニンジンの「へきなん美人」なども人気ですね。お客様はそれぞれ、ひいきにしている生産者がいるのです。
わたしも、しょっちゅう管内の農産物直売所を回っていますよ。自分の畑で作った野菜と店頭の商品を比べてみると作況もわかりますし、いまなにがどれくらい出ているのか、例年に比べて値段はどうかなど、この目で見て確かめています。
農業者の所得向上とともに、職員のみなさんの賃上げも、なんとかしたいと思っています。まずは人材が必要ですね。来年度の新卒採用状況は順調と聞いています。一兆円を超える貯金残高や、豊富な農産物など、規模の大きさに魅力を感じてくれているのかなと自負しています。

─JAあいち中央は、「日本一のJAになる」という長期ビジョンを掲げていますが、どの分野で日本一をめざしていますか。
「農業」「くらし」「組織」「経営」で日本一になる、というコンセプトです。「碧海そだち」のブランディングもその一環です。簡単ではありませんが、目標を持ってめざさないことには実現しませんよね。わたしが好きな言葉は「一生懸命」。気持ちで負けたらだめだと思うんです、ぜったいに。
日本一をめざすと明言することで、組合員や職員のみなさんにメッセージを送っているつもりです。それを少しでも理解してもらえるよう、役職員全体集会で直接説明しています。部会の会合などにも、かならず顔を出すようにしています。わたしは、お酒はあまり飲めませんが、人間関係を深めるよい機会だと思っています。組合員や職員が将来にわたって誇れるようなJAをめざしていきたいと思います。

文=成見智子 写真=松尾 純 写真提供=JAあいち中央
詳細情報
あつみ・じゅんいち/昭和二十七年生まれ、安城市出身。愛知大学を卒業後、五十年安城市農協(当時)に入組。三十代で支店長を務める。平成八年JAあいち中央に合併。二十年同JA常務理事、二十六年代表監事、令和二年代表理事専務、五年代表理事組合長に就任し、現在に至る。
JAあいち中央
平成八年、愛知県のほぼ中央の碧海地区のJAが合併して誕生。「日本デンマーク」と呼ばれるほど農業が盛んな地域で、都市化・工業化が進むなかにあって、広大な優良農地を保持。米、ニンジン、イチジクなど多様な農産物を「碧海そだち」ブランドとして生産・販売している。