JAリーダーインタビュー

長崎県JAながさき西海 代表理事組合長 田中芳秀さん

  • 長崎県 JAながさき西海
  • 2026年9月

一人でやっては日本一になれない

「できたミカン」から「作ったミカン」へ─。
市場の評価が高くなかった産地が、生き残りをかけて味で勝負。みんなでよいものを作り、農林水産祭の天皇杯を受賞。
日本一をめざして産地をけん引してきた立て役者が、地域の農業を守るためにリーダーシップを発揮する。

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アメリカの現場を見て覚悟を決める

─ご出身の佐世保市針尾地区は、「西海みかん」生産の中心地ですね。どの圃場も、高畝に沿って整然と木が植えられているのが印象的です。

 いまやミカンは、JAの販売額全体の4分の1以上を占める主力作物です。でもわたしが幼い頃は、圃場はまだここまで整備されていませんでした。ミカンだけで生計を立てるのは難しく、野菜や米も作る農家が大半でしたね。わたしも、苗を植えつけたり、種籾をまいたりする仕事をよく手伝いました。まだ耕うん機しかなく、人手がものを言う時代です。田植えのときは、親類に来てもらってみんなで手植えをする。ミカンの収穫期にも、おおぜいの人が集まりました。将来はミカン専業の農家になろうと思い始めたのはその頃からです。一度木を植えれば、ずっと収穫できて楽なんじゃないかと。現実はそんなに甘くないと知るのは、ずっと後のことです。

 中学卒業後に親元を離れ、諫早農業高校に進学して寮生活を送りました。1年生の途中からラグビー部に入り、部活に明け暮れていましたね。全国大会で準優勝した実績のある強豪チームです。強くて体格のよい先輩・後輩とレギュラー争いをしながら、毎日厳しい練習をこなしました。くたくたになって寮に帰ると、まず部屋の掃除をさせられる。それから夕飯を食べると風呂の時間に間に合わず、そのまま寝て朝起きたら布団が砂でザラザラ、なんて経験もしました(笑)。この3年間で首はがっしりと太くなり、肩幅もぐっと広がりました。だから今でも、既製品のワイシャツだとサイズが合わないんですよ。

─農業大学校を経て1983年に就農し、産地形成に尽力したそうですね。

 消費者はいろいろな産地のものを食べたうえで、満足したものしか買わない。だから、一番だと認めてもらえるミカンを作らなければだめだ。そう教えてくれたのは、大学校在学中に研修に行っていた長崎県長与町の農家の親父さんです。ミカン農家になりたいと言うわたしに、親父さんはこう言いました。「全国の産地を回ってこい。そこで人と交わり、意見を聞き、勉強しなさい」と。その助言に従い、北は静岡県から南は鹿児島県まで足を延ばし、さまざまな栽培技術を学びました。
 就農して間もなく、厳しい現実に直面しました。昭和60年代から国内のミカン生産は飽和状態となり、生産調整や廃棄が続いたのです。しかも当時の「西海みかん」は、「〝最下位〟ミカン」と揶揄されるほどの低評価でした。愛媛県や和歌山県などに負けない産地になるためには、味で勝負するしかない。そう考えたわたしは、先輩役員の助言を受け、教わった技術の中から、水はけをよくする高畝栽培や、水分を調整して糖度を上げるシートマルチ栽培に挑戦しました。管理を徹底すると、品質も糖度も格段に上がりました。
 そこで強く思ったのです。「一人でやってはいけない」と。いくら品質がよくても、ボリュームがなければ市場に相手にされません。みんなでよいものを作り、日本一をめざそうと部会の仲間に呼びかけました。

─そのさなかに、オレンジの輸入自由化という試練もありましたね。

 あれは、わたしの人生の岐路でもありました。今後もミカンをやるのか、やらないのか。それを見極めるためアメリカへの研修に参加し、オレンジ産地を見て回りました。ポストハーベスト農薬の問題もありましたが、なにより自分たちはもっと良質でおいしいミカンを作れるはずだと現場で実感できました。それで覚悟が決まったのです。
 だれでも、どの畑でも高品質のミカンを作れるよう、部会では栽培のマニュアル化や機械化などを進め、「園地登録園制度」も始めました。西海みかんには、糖度別に「味まる」(12度以上)、「味っ子」(13度以上)、「出島の華」(14度以上)、の3ブランドがあり、一定の基準を満たして登録された畑だけがブランドミカンとして出荷可能です。2007年には、念願の光センサー選果機も導入しました。選果代が上がるので反対する部会員もいましたが、なんとか説得しました。選果の精度を上げることは、品質保証の肝だからです。実際、2年もしないうちに他産地より高値がつくようになり、「よかった」とみんな言ってくれました。16年に、部会として農林水産祭天皇杯を受賞したときは、ほんとうにうれしかった。時間はかかりましたが、産地が地道に歩んできた道を誇りに思います。

信念を持ってやり抜くのがリーダーの使命

─現在の農業の課題はなんですか。

 13年のTPP交渉のさい、わたしは全国果樹研究連合会カンキツ部会の部会長として、生産基盤をしっかりつくることが大前提だと再三訴えました。農業が継続できなくなれば、食料安全保障が脅かされるだけでなく、地域そのものが疲弊してしまうからです。その思いは今も変わりません。
 21年に現職に就任しましたが、JAとしての喫緊の課題は、生産者が減るなかで地域農業をどう支えるかだと思っています。市場との信頼関係を保つためには、人数が減っても全体のボリュームを維持することが重要です。若手農家が、従業員をしっかり雇って規模拡大できるような体制づくりをサポートする必要があります。
 ミカン農家の中にはいま、年間5000万円以上売り上げる意欲ある若手が何人もいます。彼らには、けっして「負の遺産」を残したくない。4JAが合併し、JAながさき西海が誕生して20年以上たちますが、まだまだ合理化しなければならない部分がたくさんあります。たとえば、今年度は資材センターを2か所閉めますが、代わりにオンラインで資材発注と配送手配ができるシステムを開発中です。それでも不便を感じる人はいるかもしれない。でも、JA全体のことを考えるとやらざるをえないのです。どんなに批判されても、自分が矢面に立って断行しようと腹を決めています。

─リーダーシップを持ってやり抜く、ということですね。

 ラグビーのチームワークを表す言葉にOne for all, All for one というのがありますが、あれは「一人はみんなのために、みんなは一人のために」ではなく、「一人はみんなのために、みんなは一つの目的のために」という意味です。
 わたしは職場のDXも推進していますが、それは合理化のためだけではありません。業務を効率化することで、職員には組合員や地域のみなさんと対話する時間を増やしてほしいのです。
 地域の農業を守るという一つの目的のために、いろいろな立場の人と手を携え、よい方向にかじを切る判断をする。「これならできる」と信念を持ってやり抜く。「民、信なくば立たず」です。それがリーダーの使命だと思っています。その結果、みんなに「よかった」と言ってもらえるのが、やはりいちばんうれしいですね。

文=成見智子 写真=下曽山弓子 

詳細情報

たなか・よしひで/1962年生まれ、長崎県佐世保市出身。83年長崎県立農業大学校卒業後に就農。2005年JAながさき西海させぼ地区かんきつ部会部会長、15年全国果樹研究連合会副会長兼カンキツ部会部会長、18年JA理事、21年代表理事組合長に就任、現在に至る。

JAながさき西海

2002年に、させぼ、北松、松浦、いきつきの4JAが合併して設立。長崎県の北部に位置し、管内地域の多くが西海国立公園に指定されている。水稲や野菜、果樹、和牛など多様な農畜産物を生産し、とくに「長崎和牛」「西海みかん」「世知原茶」「松浦メロン」などのブランド農畜産物の評価が高い。

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