JAリーダーインタビュー

滋賀県JA東びわこ 代表理事理事長 柳本上司さん

  • 滋賀県 JA東びわこ
  • 2026年8月

共に考え尽くしていけば道は開ける

激動の金融危機の時代に学んだのは、相手の立場に立ってとことん考えることだった。
より多くの人に役立つことをすれば、自然と事業利用が増えていく。
そしていま、若い世代にも農業や地域の魅力に共感してもらおうと、新しいメディアにも力を入れる。

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まずは会っていっしょに考える

─彦根市内の兼業農家の生まれだそうですね。

 琵琶湖東岸の、昔ながらの農村で生まれ育ちました。現在はかなり住宅が増えましたが、当時、集落のまわりはいちめんの田畑でしたね。わが家の農地は一ヘクタールほどで、育苗や田植え、秋の刈り取りなど幼い頃から親父の田んぼ仕事をよく手伝っていました。昔はそんなふうに各戸で稲作をしていたのですが、一九七〇年代に米の生産調整が始まると徐々に担い手に集約され、集落営農となりました。人手が必要な作業があるときに、家を代表して参加するような形になっていたと思います。
 高校卒業後、愛知県内の大学に進学しました。専攻は地理学です。日本の山村を総合的に研究するゼミに入り、フィールドワークでいろいろな地域を見て歩きました。鉄道、山歩き、地学など、それぞれ違った興味を持つ仲間たちといっしょに学ぶのはほんとうに楽しかったですね。わたしは民俗学的なことに興味があり、愛知県奥三河地方の山村で集落の成り立ちや生活文化などを調査・研究しました。町域の九割以上が山林で、わずかな平地は農地に当てられるため、急斜面に張り付くように集落があったりする。この地域で鎌倉時代から続く「花祭」は「天下の奇祭」と言われ、鬼の舞などが夜を徹しておこなわれます。集落ごとに伝承された舞は少しずつ違っていて、それぞれに意味があるのです。
 大学在学中も田植えや稲刈りの時期には帰省していましたが、卒業後は実家に戻り、地元の厚生社農協(当時)に入組しました。学生時代の研究や読書をとおして培った知見は、社会に出てからの自分を支えるバックボーンとなっています。地理的な視点が、農業をはじめとする地域産業やインフラのあり方を考えるのに役立っていると思っています。

─職員時代はどんな仕事をしていましたか。

 最初は甲良東支店に配属され、窓口業務や渉外を担当しました。大学でやってきたこととぜんぜん違うので、正直あまり仕事が楽しいとは思えなかったんです。でも二年後に本店の管理部門に異動してからは、日々新しい世界が開けていく感じがしましたね。日計・在庫管理・給料などの電算業務を担当し、簡単なプログラムを組んだり、職場のOA化を進めたりするなかで、自分のスキルが生かされているという実感も出てきました。
 九七年に五JAが合併し、JA東びわこが誕生してからは金融部門に配属されました。そこからは、激動に次ぐ激動でしたね。金融機関の自主廃業や破綻、ゼロ金利政策など、国民生活を揺るがすような出来事が相次いだのです。これからどうなるのかと、心配は尽きませんでした。二〇〇八年のリーマンショック後には、債権回収も経験しました。心がけていたのは、「返してください」ではなく、「いっしょに考えましょう」というスタンスです。合併前から面識のある組合員もいる。まずは会って話を聞き、従来どおりの返済が難しければ返済期間を延ばして毎月の負担を減らすなど、実情に寄り添う提案をするよう努めました。

食と農の隙間を埋めるのがJAの役割

─環境が大きく変わるなか、難しい判断を求められることもあったのでしょうか。

 一七年に退職し、職業訓練校でウェブデザインを学んでいましたが、翌年、金融担当常務に推されました。低金利が続き、貯金を集めることも、それをよい条件で運用することも難しくなっていたので、このとき「集める貯金」から「集まる貯金」へと方針を変えたのです。定期積金などの集金をやめる代わりに、年金振込口座を増やして資金を調達する。そして住宅ローンを推進し、確実に運用していく。相談業務にも力を入れてきました。より多くの人の役に立つことで、直売所など他の事業の利用にもつながると考えました。総合事業の強みを発揮できれば、金利が多少低くても経営にはプラスの効果が出るのです。
 経営基盤の強化はかねてからの課題でしたが、そのためには地域との関わりをもっと増やしていかなければなりません。二三年に、農業経営のスキルや人間力の向上などを学ぶ組合員大学「あぐりライフ」と、五十歳以下の女性を対象としたワークショップ「Mirayne(ミレイネ)」を開講しました。その最終目的は、受講生同士のつながりや仲間意識を醸成し、組織活動をリードする人材を育てることです。

─持続可能な地域農業を実現するためには、なにが重要だと考えますか。

 流通の高度化により、食べ物が簡単に手に入る時代になりましたが、メディアでは農家や産地にまで言及したコンテンツが少なく、食と農の間には「隙間」があるように感じていました。理事長に就任した二四年の秋から始めたのが、ウェブマガジンの「Umel(ウメル)」です。農作物はどのように育つのか。だれが、どんな思いで作っているのか。地域や農業の魅力を発信することで隙間を「埋める(ウメル)」ことがJAの役割だと考えています。

 初めのうちは、職員が書いた記事を校正したりしたかな(笑)。でも、回を重ねるごとに、取材も原稿もすごくうまくなりましたね。最近では編集方針や目的もしっかりと共有され、企画もどんどん出てきます。「地域にこんな人がいたのか」と、驚くような取材対象を発掘してくる職員もいる。人と人との縁が、新しいつながりを生んでいるのです。今年の秋には、直売所の一つが「Umel STAND」として新装オープンします。農産物や加工品の販売だけでなく、農業体験の案内や、見どころの紹介など、地域の情報発信基地として機能することで、地産地消や地域共生社会の実現に貢献したいと思います。

─地域の一員として、職員に心がけてほしいことはありますか。

 彦根市は、佐和山城を居城とした戦国武将・石田三成ゆかりの地です。その旗印である「大一大万大吉」は、「一人は万民のために、万民は一人のために尽くす」と解釈されていますが、これはまさに協同組合の精神。いにしえの時代から、この地に息づいていたのです。毎年、新人職員の研修会でこの話をして、「この地域でJAが存在する意義をしっかり持って仕事に取り組んでほしい」と伝えています。
 昨年度から、人事考課制度を見直しました。従来は定量的な考課が重視されましたが、今は定性的な要素も加味しています。たとえば、新たな事業展開につながるアイデアや、デジタルの活用による業務の課題解決、地域社会の発展や農業の振興に寄与する活動などです。数字だけでは測れない仕事もきちんと評価して、それを後押しすることで、これまで以上に組織や地域に貢献できる人材が育っていくことを願っています。

文=成見智子 写真=松尾 純 写真提供=JA東びわこ

詳細情報

やなぎもと・じょうじ/昭和三十六年生まれ、滋賀県彦根市出身。五十九年愛知大学卒業後、厚生社農協入組。平成九年JA東びわことして合併後、信用部長、総務部長などを経て、平成三十年金融担当常務理事、令和六年代表理事理事長に就任、現在に至る。

JA東びわこ

平成九年に、愛知中部、稲枝、彦根市、多賀荘、厚生社の五JAが合併して設立。琵琶湖の東に位置し、彦根市、愛荘町、豊郷町、甲良町、多賀町が管内。「近江米」「彦根梨」「秦荘のやまいも」「多賀そば」「多賀にんじん」などの特産品のほか、多様な農産物を生産している。

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